切なくも胸にせまりもしない
![]() | ニシノユキヒコの恋と冒険 (新潮文庫) 川上 弘美 新潮社 2006-07 売り上げランキング : 101268 おすすめ平均 ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
一年以上積んでいた文庫本をようやく読了
はてしなくしょうもないニシノには切なくも胸にせまりもしませんでした。ニシノくん、幸彦、西野君、ユキヒコ……。姿よし、セックスよし。女には一にも二にもなく優しく、懲りることを知らない。だけど最後には必ず去られてしまう。とめどないこの世に真実の愛を探してさまよった、男一匹ニシノユキヒコの恋とかなしみの道行きを、交情あった十人の女が思い語る。はてしなくしょうもないニシノの生きようが、切なく胸にせまる、傑作連作集。(文庫裏より)
けれど今まで読んだ川上弘美の本の中では個人的にはいちばん楽しく読めた。
この本の読み方は何通りかあると思う。十人の女たちの証言によってニシノユキヒコ像を確立させてゆき、彼に共感する。彼のどうしようもない性格の原因が少しずつ明かされてゆく群像的な物語の進行を楽しむ。ひとりの人間に対する十人の女の考察を楽しむ。などなど、いろいろあると思うのだけど、
僕は特に、最後に挙げた十人の女たちの考察を楽しんで読んだ。
それぞれの「主観的な分析」は実に多彩で非常に良い。
藤野千夜による解説は、饒舌な文体でありながらも実に的を射ており素晴らしい出来だと思う。
「一番ほしいものが目の前にあって、でもいつかはなくなってしまう」、それがニシノユキヒコである。従って、十人の女たちは、“自分を守る”ためにニシノユキヒコを分析する。ひとりの人間・つかみそこねることになる愛・なくすことになる時間について考える。考える彼女たちに、僕は共感したり驚いたりする。言い換えればニシノユキヒコとは、私たちがつかみそこねた愛の名前なのだ。あるいはなくした時間そのものだと言ってもいいかもしれない。
もちろんそれは、泣いてもわめいても、決して手元には帰って来ないものだ。
川上弘美は相変わらず日本語がべらぼうに巧い。感覚を言葉にすることの難しさをなんなくやってのけるどころか、更に人格による個性をしっかりと書き分けている。別作品で際立つ「日本語の美しさ」は本作では鳴りを潜めているものの、その分饒舌ながら分析的な文章は理解に容易くも鋭い。
誰でも何かと訣別しなければならないことに直面するだろうけれど、とりわけその「訣別」が苦手なひとに読んでもらいたい。
最果タヒのigaiseiについて
この度第十三回中原中也賞を受賞した最果タヒさんですが、
先日書いた「故郷にて死にかける女子」前半部分についてもう少し突っ込んで書いてみる。
僕だけかもしれないけれど、十代の子が書くものというのは、基本的に未熟で、ありがちで、けどだからこそそんな十代を経験したことのある僕らがそれを読んで懐かしい気持ちになることがある。「あるあるネタ」というか、「あったあったネタ」というか。
けれど、彼女の書くものは昔からそうでは無かった。若い子の書く文章というものは基本的に論理的整合性が弱く、当時の彼女もまた同じくそれは弱弱しかった。そのため僕は彼女の文章を読んでいて、この部分は論理的に繋がらないと思う、などとせこせこしつつ感じたりしていたのだけれど、しかし広い視野で文章を俯瞰してみたとき、そもそもの“考え”が僕は彼女と一致することが少なく、読んでいて違和感を覚えることが多かった。ローティーンの子がそのような文章を書いていたことは衝撃でもあった。
さて、この詩についてに戻るのだけれど、この詩は一見イメージが連鎖しているように見えて、そうでは無いもののように、僕には思える。論理的整合性の中での不整合、つまり“意外性”が突出している。(以前現代詩手帖で武田肇氏が「最果は常に新しい」と評していたけれど、その通りだ。)
KJ法のようにイメージを繋げて行く(連鎖して行く)と、いかにこの詩の中の言葉が複層的多層的に繋がっているか、ということが良くわかる。(これは並の小説ではなかなか出来ない、詩ならではことだ。)そしてこの詩のことも見えて来るだろう。
まず題名「故郷にて死にかける女子」によって死にかけている女子のイメージが浮かぶ。
吐く息がよだれだったあたし→死にかけ
頭上に鳥の巣→死にかけ
頭上に鳥の巣が出来ている朝→寝起きで酷い寝癖が付いている?
この時点で早くも裏切られる。死にかける女子が「寝起き」で「寝癖」とはいかにも平和的だ。しかしまだまだイメージの連鎖はまだまだ続く。
鳥の巣→雛・卵 + 朝 →目玉焼きを欲する
朝 + 寝起き→(低血圧→)おきあがることは不可/能
死にかけ→おきあがることは不可/能
鳥の巣・目玉焼き→小鳥
おきあがることは不可/能→飛べない
死にかけ(のわたし)→飛べない
頭上に鳥の巣が出来ている→(鳥の巣から落ちた雛は死ぬ運命にある→)小鳥は飛べない→死にかけ→死にかける女子
どこまでも矢印で繋げることが出来そうな、完璧な、そしてその完璧さを体現しているかのごとく綺麗に一行が十七文字に区分けされた一連目である。(もしかしたら女子は十七歳だったのかもしれない、なんていうのはまあ明らかに深読み。)
しかし二連目では早くも裏切りの連続=意外性に満ちている。
小鳥→かあかあ
可愛らしい雛を思い浮かべていた我々に突然カラスが突きつけられる
しかし、一方で
死にかけ→カラス
と考えれば何とも似つかわしくもある。更には
カラス→(黒い)羽→わたしの髪だった気がする
この一行によって、
頭上に鳥の巣が出来ている朝→寝癖などと言う妄想が、最果のミスリードにまんまとひっかかった(=上手にひっかけられた)のではないかとやきもき(どきどき)させられることとなる。
そして最後に
かあかあ→わたしの十年前の声だった気がする
この時点でカラス(鳥)が自分自身であることが発覚するという「意外性」かつ「必然性」により、一連目の
頭上に鳥の巣が出来ている→(鳥の巣から落ちた雛は死ぬ運命にある→)小鳥は飛べない→死にかけ→死にかける女子
このような連鎖が至極当然であったのである、ということを教えられる。
最後の一行で、複層・多層化していた言葉たちが、ひとつのイメージとして完全に繋がるのである。
つまり、結論としてこうである。
最果タヒは、ただ鳥の巣(故郷)で死にかけているカラス(女子・わたし・小鳥)について書いていただけである。(もちろん、そのカラスは女子でありわたしである)しかし、読者としての我々は「女子(わたし)」についての話であると「当然のように」思い込み読み、そして「わたし」は「小鳥」で「カラス」だと明かされ、驚く。彼女は論理的に整合した文章を書いていただけなのに、我々は不整合であると感じ、勝手に裏切られ、勝手に驚く。彼女には「当然」が通じず、彼女の「当然」は我々には「意外性」であり、勿論彼女はその当然さを苦労して創りだしているのであろうが、だからこそ面白いのだと、僕は思う。
蛇足→まあ、論理的に言えば「小鳥」が「目玉焼きと欲する」のは共食い?おかしい?のかもしれない。けれど、「カラス」が「食べ物」を欲した(きっと目玉焼きでも何でも食えるものは食うんだろう、カラスだもの、死にかけなのだもの、)と考えれば特に問題も無い。
蛇足2→ツラツラと感想を足すことにする、なんて書き始めたのだけど、(珍しく)(僕にしては)結構自信作が書けたので、読んで感想貰えると嬉しいです。長いけど;
先日書いた「故郷にて死にかける女子」前半部分についてもう少し突っ込んで書いてみる。
先日の感想文ではただ「冒頭部分が好きだ」とか「視覚的にどうたらこうたら」とかそんなことしか書かなかったので、もう少し突っ込んで……書けるほどの筆力が僕にあるはずもないので、更に追記、と言った感じでツラツラと感想を足すことにします。吐く息がよだれだったわたしをあ//
いせるか頭上に鳥の巣が出来ている朝
がきているわたしは目玉焼きを欲する
がバランスからいうとおきあがること
は不可/能だ小鳥はまだ飛べない//
かあ
かあ
カラスが部屋中を飛びまわっている
羽 はわたしの髪だった気がする
かあ
かあ
わたしの十年前の声だった気がする
僕だけかもしれないけれど、十代の子が書くものというのは、基本的に未熟で、ありがちで、けどだからこそそんな十代を経験したことのある僕らがそれを読んで懐かしい気持ちになることがある。「あるあるネタ」というか、「あったあったネタ」というか。
けれど、彼女の書くものは昔からそうでは無かった。若い子の書く文章というものは基本的に論理的整合性が弱く、当時の彼女もまた同じくそれは弱弱しかった。そのため僕は彼女の文章を読んでいて、この部分は論理的に繋がらないと思う、などとせこせこしつつ感じたりしていたのだけれど、しかし広い視野で文章を俯瞰してみたとき、そもそもの“考え”が僕は彼女と一致することが少なく、読んでいて違和感を覚えることが多かった。ローティーンの子がそのような文章を書いていたことは衝撃でもあった。
さて、この詩についてに戻るのだけれど、この詩は一見イメージが連鎖しているように見えて、そうでは無いもののように、僕には思える。論理的整合性の中での不整合、つまり“意外性”が突出している。(以前現代詩手帖で武田肇氏が「最果は常に新しい」と評していたけれど、その通りだ。)
KJ法のようにイメージを繋げて行く(連鎖して行く)と、いかにこの詩の中の言葉が複層的多層的に繋がっているか、ということが良くわかる。(これは並の小説ではなかなか出来ない、詩ならではことだ。)そしてこの詩のことも見えて来るだろう。
まず題名「故郷にて死にかける女子」によって死にかけている女子のイメージが浮かぶ。
吐く息がよだれだったあたし→死にかけ
頭上に鳥の巣→死にかけ
頭上に鳥の巣が出来ている朝→寝起きで酷い寝癖が付いている?
この時点で早くも裏切られる。死にかける女子が「寝起き」で「寝癖」とはいかにも平和的だ。しかしまだまだイメージの連鎖はまだまだ続く。
鳥の巣→雛・卵 + 朝 →目玉焼きを欲する
朝 + 寝起き→(低血圧→)おきあがることは不可/能
死にかけ→おきあがることは不可/能
鳥の巣・目玉焼き→小鳥
おきあがることは不可/能→飛べない
死にかけ(のわたし)→飛べない
頭上に鳥の巣が出来ている→(鳥の巣から落ちた雛は死ぬ運命にある→)小鳥は飛べない→死にかけ→死にかける女子
どこまでも矢印で繋げることが出来そうな、完璧な、そしてその完璧さを体現しているかのごとく綺麗に一行が十七文字に区分けされた一連目である。(もしかしたら女子は十七歳だったのかもしれない、なんていうのはまあ明らかに深読み。)
しかし二連目では早くも裏切りの連続=意外性に満ちている。
小鳥→かあかあ
可愛らしい雛を思い浮かべていた我々に突然カラスが突きつけられる
しかし、一方で
死にかけ→カラス
と考えれば何とも似つかわしくもある。更には
カラス→(黒い)羽→わたしの髪だった気がする
この一行によって、
頭上に鳥の巣が出来ている朝→寝癖などと言う妄想が、最果のミスリードにまんまとひっかかった(=上手にひっかけられた)のではないかとやきもき(どきどき)させられることとなる。
そして最後に
かあかあ→わたしの十年前の声だった気がする
この時点でカラス(鳥)が自分自身であることが発覚するという「意外性」かつ「必然性」により、一連目の
頭上に鳥の巣が出来ている→(鳥の巣から落ちた雛は死ぬ運命にある→)小鳥は飛べない→死にかけ→死にかける女子
このような連鎖が至極当然であったのである、ということを教えられる。
最後の一行で、複層・多層化していた言葉たちが、ひとつのイメージとして完全に繋がるのである。
つまり、結論としてこうである。
最果タヒは、ただ鳥の巣(故郷)で死にかけているカラス(女子・わたし・小鳥)について書いていただけである。(もちろん、そのカラスは女子でありわたしである)しかし、読者としての我々は「女子(わたし)」についての話であると「当然のように」思い込み読み、そして「わたし」は「小鳥」で「カラス」だと明かされ、驚く。彼女は論理的に整合した文章を書いていただけなのに、我々は不整合であると感じ、勝手に裏切られ、勝手に驚く。彼女には「当然」が通じず、彼女の「当然」は我々には「意外性」であり、勿論彼女はその当然さを苦労して創りだしているのであろうが、だからこそ面白いのだと、僕は思う。
蛇足→まあ、論理的に言えば「小鳥」が「目玉焼きと欲する」のは共食い?おかしい?のかもしれない。けれど、「カラス」が「食べ物」を欲した(きっと目玉焼きでも何でも食えるものは食うんだろう、カラスだもの、死にかけなのだもの、)と考えれば特に問題も無い。
蛇足2→ツラツラと感想を足すことにする、なんて書き始めたのだけど、(珍しく)(僕にしては)結構自信作が書けたので、読んで感想貰えると嬉しいです。長いけど;
中原中也賞

第13回中原中也賞に最果タヒ「グッドモーニング」が決定。この詩集に関しては以前少しだけ書いたんですが、これを機にもう少しだけ。細かな選評などはおそらくユリイカ四月号くらいに掲載されるためまだ読んで無いのだけど、応援していたので素直に嬉しい。彼女の詩は理論的であるというよりは感覚的であり、その感覚をたくみに表現するために技術を当てはめて行く、と言う印象がある。以下は「故郷にて死にかける女子」という詩の前半部分。
冒頭部分(吐く息がよだれだったわたしをあ//いせるか)に特に惹かれた。最初の五行はスラッシュなどもたくみに使い一行が十七文字になるように調整されているため、実際の紙面で読むと非常に美しいばかりか、同時に感覚的にもスラッシュ(によるアクセント・呼吸)が必要不可欠であることが“感覚的に”伝わってくる。むしろ、あ//で改行することを先に決め、そのために十七文字に調整がなされたのかもしれない。このように、視覚的な要素を多分に含む詩と言うものが、僕は大好きだ。(彼女はそのような紙面の使い方が非常に巧く、そこから言葉に表し難いエネルギーが発散されているがために、僕は彼女の行分け詩を、強度が足りずに聊か退屈だと感じてしまう。)彼女の詩は部分部分を読むと非常に青々とした、子供的・少女的な表現が目立ち(或いは目立つように書かれており)、そのような部分は個人的にはマイナス評価に繋がるのだけれど、同時にそれ以上に若さが溢れるからこそ、その感覚的な要素が鋭く、(彼女の言葉を借りれば「飛んだ破片がガラスのように反射して、」)燦燦と煌くようにも見える。これから先、その若さを武器として書けなくなるとき、どうなるのか。彼女はあとがきで「十代は去ってなどおらず、わたしの血はその十代でできていた。世界はかわらず輝いていて、わたしはそれをただ、また直視すればよかったのだ。いつまでも、これは変わりやしないのだ。(改行)だから。これまでのためにこれからのためにこの詩集はあるだろう。そのためにも、決してわたしは彼らを、遺物にはしない。」書いている。例えば(舞台は少し違うけれど)高橋源一郎なんかは初期に或る意味長編詩的な「ジョン・レノン対火星人」「さようならギャングたち」と言った瑞々しい傑作を輩出した後、今でも老練な良作を残し続けているわけで、きっと彼女にも出来るはず。今後にも期待してます。吐く息がよだれだったわたしをあ//
いせるか頭上に鳥の巣が出来ている朝
がきているわたしは目玉焼きを欲する
がバランスからいうとおきあがること
は不可/能だ小鳥はまだ飛べない//
かあ
かあ
カラスが部屋中を飛びまわっている
羽 はわたしの髪だった気がする
かあ
かあ
わたしの十年前の声だった気がする
芥川賞・直木賞
川上未映子「乳と卵」(ちちとらん)芥川賞受賞
桜庭一樹「私の男」直木賞受賞
両者共に非常に『現代小説的』で、
久々にどちらの受賞も喜べる嬉しい結果となりました。
川上未映子は「わたくし率イン歯ー、または世界」に引き続き二度目の候補で受賞。桜庭一樹も「赤朽葉家の伝説」に引き続き二度目の候補で受賞。
この中で読んだのは「赤朽葉」だけなんだよなあ。以前レビューを書いたときは「この作品を評価するひとが多いのは理解できる(構成は良い)が個人的には文圧を感じなかった」というようなことを記したんですが、「私の男」ではこれでもかってくらい“愛欲を濃密に描写しているらしい”ので、これは読まずにはいられないですな。「赤朽葉」は全体的に非常に評判が良かった割に肩透かしだったのだけど、「私の男」は一部が絶賛、一部は批判という面白い一般での評価。なおさら気になる。もともとラノベ出身の桜庭一樹。「赤朽葉」はまだほんのりラノベ臭がしたものの、「私の男」では見事に脱却できているんだろうか。そこら辺も気になる。
川上未映子は「わたくし率」の頃からずーっと気になっていたもののハードカバーに手を出しあぐねていた次第……これまた一部が絶賛、一部は猛批判。そういうのこそ気になる。もう買っちゃおうかな。
全然関係無いんだけど、
最近「最終鬼畜妹フランドール・S」↓の音が頭から離れない。
桜庭一樹「私の男」直木賞受賞
両者共に非常に『現代小説的』で、
久々にどちらの受賞も喜べる嬉しい結果となりました。
川上未映子は「わたくし率イン歯ー、または世界」に引き続き二度目の候補で受賞。桜庭一樹も「赤朽葉家の伝説」に引き続き二度目の候補で受賞。
この中で読んだのは「赤朽葉」だけなんだよなあ。以前レビューを書いたときは「この作品を評価するひとが多いのは理解できる(構成は良い)が個人的には文圧を感じなかった」というようなことを記したんですが、「私の男」ではこれでもかってくらい“愛欲を濃密に描写しているらしい”ので、これは読まずにはいられないですな。「赤朽葉」は全体的に非常に評判が良かった割に肩透かしだったのだけど、「私の男」は一部が絶賛、一部は批判という面白い一般での評価。なおさら気になる。もともとラノベ出身の桜庭一樹。「赤朽葉」はまだほんのりラノベ臭がしたものの、「私の男」では見事に脱却できているんだろうか。そこら辺も気になる。
川上未映子は「わたくし率」の頃からずーっと気になっていたもののハードカバーに手を出しあぐねていた次第……これまた一部が絶賛、一部は猛批判。そういうのこそ気になる。もう買っちゃおうかな。
全然関係無いんだけど、
最近「最終鬼畜妹フランドール・S」↓の音が頭から離れない。
| ■参考 U.N.オーエンは彼女なのか?(原曲) 最終鬼畜全部声(左と作者一緒) ヴォーカルアレンジ 最終鬼畜一部声(カラオケ配信済) 東方Projectとは(wikipedia) ■東方電波曲シリーズ 魔理沙は大変なものを盗んでい… 患部で止まってすぐ溶ける〜狂… つるぺったん 他 |
まとめて簡易ブックレビュー
先日発表された今年のベストセラーでは、
文芸部門のトップ3を携帯小説が独占!トップ10に計5作!
みたいなことが書いていましたが、
僕としましてはやはり総合部門の第5位に池田大作御大の新・人間革命17巻が入っていることのが気になるわけです。先日発売されたばっかりですよ?!あの腐るほど売れた腐れ本「恋空」をやすやすと超えるとは…。宗教の力って凄いですね。
そもそも宗教って当たり前だけど「信じること」が大前提な訳で、どれほど大きな矛盾点を論理的に突いたとしても、ただひたすら“信じている彼ら”には僕らの論理は悪魔の囁きにしか聞こえないんだよね。信じる者は救われるって、彼らが実際救われてんのかは知らんけど。本人が幸せならいいんじゃないかと思います。他人に迷惑さえかけなければ。結構迷惑みたいですがっ。僕は僕以上に信じられる人間がいないのでたぶん宗教なんて無理です。誰か「俺を信じろ」って言ってくれないかなー。普通に嘘をつく男にしか言われたことが無い…。
なんか話が変わって来たのでさっさとブックレビューに移ります。
初西尾維新。そしてがっかり……。萌えを取り入れた典型的ライトミステリー。何の捻りも無い。あるとすれば題名くらい。それにしても捻りが足りない。ライトノベルを読む層が「文章が突出して巧すぎる」的なことを言っていたので期待しすぎてたようです。文章も小説家としては及第点レベル。これだったら池上永一「シャングリラ」のがまとまりは無いとは言え数段上行ってます。ミステリーでは無いけど。
非常に読みやすく簡潔、笑いも織り交ぜられ含蓄もあり。
構成も文句のつけ様が無いのだけれども計算高すぎてやや鼻につく感じも。(←文句)
完成度は高いのに何が気に食わないのか?と言うことを考えてみた結果、“美しさが無い”と言う非常に主観的な答えを出しました。滑稽さで笑いを取ろうとしてる癖に、その滑稽さの中から無常観をも滲み出させるといったどっちつかずの手法が僕は嫌いです。17歳のカルテのパクリ臭もややあり。
文句ばっか言っちゃったけど、面白いよ。
正直言って村上龍は苦手でした。“13歳のハローワーク”なんて出してる時点で商業主義に走っているというか。いや、実際不景気という時世も手伝って売れまくったし、時代を見抜く力は卓越してると思うんですが、そこから算出される作品がそれほど素晴らしく無い、というのが問題だと思ってます。偉そうですけど。で、まさしく北朝鮮がワイドショーを賑わしてる頃に満を持して出されたのが「半島を出よ」なわけで、当然のようにベストセラー。なんかずるい。
さて、そんなイマイチな印象で読み出した当書なのですが、これが意外に良かった。虫に対する描写なんかは気持ち悪いくらいリアルでやめてくれよ〜と思いもしたし、一文一文の文章がやっぱり好みでは無いのだけれど、それでもよっぽど多数の資料を読み込まないとこの本は書けないと思うし、何よりもラスト付近である「美しい時間」の章は映画を見ているかのような美しさだった。ここでようやく作品として及第点を超えると共に、ここの章のためだけに上下巻を読む価値がある。
全体的には説明的過ぎる気もするけれど、作品の性質上仕方の無いような気もするし、作家としての渾身の一作であることは十分に伝わった。第59回毎日出版文化賞及び第58野間文芸賞をW受賞。
最果タヒの散文詩が僕は大好きだ。紡ぎ出されて行く言葉を目で追うことで幸福になれる。たまにある幼稚さが垣間見える(或いは意図的に記述している)弛緩した表現や、最近多く見られる行分け詩は(僕の技量の問題なのだとは思うのだけれど)正直良く理解出来ないので残念だ。理解できるできないと言うよりも、行分け詩になると、彼女独特の、まるで音楽のような言葉の・文章のリズムが殺されてしまい、力が発散され、平坦な印象を(僕は)受けてしまう。現代詩手帖投稿時のような、魂の篭った散文詩が読みたい。読みたい。読みたい。
この詩集は若さにあふれている。若いからこそ書けるものというのは必ずあるけれど、今だからこそ書けるというものも絶対にあるはずだと僕は思う。世界を美しいと感じている彼女には必ず書けるものがあると信じている。次作にも期待。欲を言えば長めの散文詩をたっぷり書いて欲しい。彼女が書き続ける限り、僕は読みます。
なんでこれが本屋大賞?と思ったのだけれど、「博士の愛した公式」→「夜のピクニック」→と来たらこれがぴったり当てはまってしまうから不思議。決して質が悪いわけでは無い。けれど僕からすれば「ちょっとスポーツを真面目に描いたあだち充みたいなもん」くらいの評価。あだち充をけなしている訳でも無い。でも、とにかく、大賞に値するほどの作品だとは思えない。「大きく振りかぶって」が漫画大賞を受賞するような感じ。あ、なんかそんな感じ。まあ、実際オオフリは講談社漫画賞か何かは取ってたけど…。いや、オオフリも好きなんですよ?でも、たとえばもしいちばんおっきな賞を取ったとしたら、「え?これが?」みたいな感じになると思う。僅差で2位だった「夜は短し歩けよ乙女」が佳作だっただけに、なんだかもやもや。
そんな「夜は短し」の森見さんが京大大学院在中に書いたらしい本作。やはりところどころに甘さが残るものの、冒頭は秀逸。『何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。』溢れ出る自信。ただ、全編を通してそれが続くと少ししんどくなって来ます。他にも、伏線かと思われるキャラクターが結局深く掘り下げられること無く終わってしまったり、結局ストーカー先の彼女に対する描写が余りに少なく最後まで謎な性格だったり。女性性を排除してひたすら男臭い雰囲気を出したかったのかもしれませんが、マイナス面が少し目立つかな。男女交互の語り口を展開して見せた「夜は短し歩けよ乙女」のが作品としては格段に上です。
アンケート ・ 2007年度、印象にのこった詩集 を眺めていたら橘上氏、河野聡子さんの詩集が発売していることを知ってしまった。
最初は俄然、橘上「複雑骨折」に強い興味を持っていたのだけれども(題名も装丁も良い!)、こちらで河野聡子「時計一族」収録の「マーチ」と言う作品を読んだらどうしても欲しくなってきた。どうしても。あーくそ、詩集って高いんだよなあ。発行部数を考えりゃ仕方が無いとはいえ軒並み2000円超えるし……でも早く買わないとすぐ絶版になるし!どっちを買おう…どっちを買おう…どっちも買おう…うん、どっちも買おう…ついでに恋するおっさん(エロ漫画)も買おう…本日は散財じゃ!
文芸部門のトップ3を携帯小説が独占!トップ10に計5作!
みたいなことが書いていましたが、
僕としましてはやはり総合部門の第5位に池田大作御大の新・人間革命17巻が入っていることのが気になるわけです。先日発売されたばっかりですよ?!あの腐るほど売れた腐れ本「恋空」をやすやすと超えるとは…。宗教の力って凄いですね。
そもそも宗教って当たり前だけど「信じること」が大前提な訳で、どれほど大きな矛盾点を論理的に突いたとしても、ただひたすら“信じている彼ら”には僕らの論理は悪魔の囁きにしか聞こえないんだよね。信じる者は救われるって、彼らが実際救われてんのかは知らんけど。本人が幸せならいいんじゃないかと思います。他人に迷惑さえかけなければ。結構迷惑みたいですがっ。僕は僕以上に信じられる人間がいないのでたぶん宗教なんて無理です。誰か「俺を信じろ」って言ってくれないかなー。普通に嘘をつく男にしか言われたことが無い…。
なんか話が変わって来たのでさっさとブックレビューに移ります。
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初西尾維新。そしてがっかり……。萌えを取り入れた典型的ライトミステリー。何の捻りも無い。あるとすれば題名くらい。それにしても捻りが足りない。ライトノベルを読む層が「文章が突出して巧すぎる」的なことを言っていたので期待しすぎてたようです。文章も小説家としては及第点レベル。これだったら池上永一「シャングリラ」のがまとまりは無いとは言え数段上行ってます。ミステリーでは無いけど。
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非常に読みやすく簡潔、笑いも織り交ぜられ含蓄もあり。
構成も文句のつけ様が無いのだけれども計算高すぎてやや鼻につく感じも。(←文句)
完成度は高いのに何が気に食わないのか?と言うことを考えてみた結果、“美しさが無い”と言う非常に主観的な答えを出しました。滑稽さで笑いを取ろうとしてる癖に、その滑稽さの中から無常観をも滲み出させるといったどっちつかずの手法が僕は嫌いです。17歳のカルテのパクリ臭もややあり。
文句ばっか言っちゃったけど、面白いよ。
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正直言って村上龍は苦手でした。“13歳のハローワーク”なんて出してる時点で商業主義に走っているというか。いや、実際不景気という時世も手伝って売れまくったし、時代を見抜く力は卓越してると思うんですが、そこから算出される作品がそれほど素晴らしく無い、というのが問題だと思ってます。偉そうですけど。で、まさしく北朝鮮がワイドショーを賑わしてる頃に満を持して出されたのが「半島を出よ」なわけで、当然のようにベストセラー。なんかずるい。
さて、そんなイマイチな印象で読み出した当書なのですが、これが意外に良かった。虫に対する描写なんかは気持ち悪いくらいリアルでやめてくれよ〜と思いもしたし、一文一文の文章がやっぱり好みでは無いのだけれど、それでもよっぽど多数の資料を読み込まないとこの本は書けないと思うし、何よりもラスト付近である「美しい時間」の章は映画を見ているかのような美しさだった。ここでようやく作品として及第点を超えると共に、ここの章のためだけに上下巻を読む価値がある。
全体的には説明的過ぎる気もするけれど、作品の性質上仕方の無いような気もするし、作家としての渾身の一作であることは十分に伝わった。第59回毎日出版文化賞及び第58野間文芸賞をW受賞。
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最果タヒの散文詩が僕は大好きだ。紡ぎ出されて行く言葉を目で追うことで幸福になれる。たまにある幼稚さが垣間見える(或いは意図的に記述している)弛緩した表現や、最近多く見られる行分け詩は(僕の技量の問題なのだとは思うのだけれど)正直良く理解出来ないので残念だ。理解できるできないと言うよりも、行分け詩になると、彼女独特の、まるで音楽のような言葉の・文章のリズムが殺されてしまい、力が発散され、平坦な印象を(僕は)受けてしまう。現代詩手帖投稿時のような、魂の篭った散文詩が読みたい。読みたい。読みたい。
この詩集は若さにあふれている。若いからこそ書けるものというのは必ずあるけれど、今だからこそ書けるというものも絶対にあるはずだと僕は思う。世界を美しいと感じている彼女には必ず書けるものがあると信じている。次作にも期待。欲を言えば長めの散文詩をたっぷり書いて欲しい。彼女が書き続ける限り、僕は読みます。
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なんでこれが本屋大賞?と思ったのだけれど、「博士の愛した公式」→「夜のピクニック」→と来たらこれがぴったり当てはまってしまうから不思議。決して質が悪いわけでは無い。けれど僕からすれば「ちょっとスポーツを真面目に描いたあだち充みたいなもん」くらいの評価。あだち充をけなしている訳でも無い。でも、とにかく、大賞に値するほどの作品だとは思えない。「大きく振りかぶって」が漫画大賞を受賞するような感じ。あ、なんかそんな感じ。まあ、実際オオフリは講談社漫画賞か何かは取ってたけど…。いや、オオフリも好きなんですよ?でも、たとえばもしいちばんおっきな賞を取ったとしたら、「え?これが?」みたいな感じになると思う。僅差で2位だった「夜は短し歩けよ乙女」が佳作だっただけに、なんだかもやもや。
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そんな「夜は短し」の森見さんが京大大学院在中に書いたらしい本作。やはりところどころに甘さが残るものの、冒頭は秀逸。『何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。』溢れ出る自信。ただ、全編を通してそれが続くと少ししんどくなって来ます。他にも、伏線かと思われるキャラクターが結局深く掘り下げられること無く終わってしまったり、結局ストーカー先の彼女に対する描写が余りに少なく最後まで謎な性格だったり。女性性を排除してひたすら男臭い雰囲気を出したかったのかもしれませんが、マイナス面が少し目立つかな。男女交互の語り口を展開して見せた「夜は短し歩けよ乙女」のが作品としては格段に上です。
アンケート ・ 2007年度、印象にのこった詩集 を眺めていたら橘上氏、河野聡子さんの詩集が発売していることを知ってしまった。
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最初は俄然、橘上「複雑骨折」に強い興味を持っていたのだけれども(題名も装丁も良い!)、こちらで河野聡子「時計一族」収録の「マーチ」と言う作品を読んだらどうしても欲しくなってきた。どうしても。あーくそ、詩集って高いんだよなあ。発行部数を考えりゃ仕方が無いとはいえ軒並み2000円超えるし……でも早く買わないとすぐ絶版になるし!どっちを買おう…どっちを買おう…どっちも買おう…うん、どっちも買おう…ついでに恋するおっさん(エロ漫画)も買おう…本日は散財じゃ!












